〒LOOP

わたしが考えている事を綴るはずだったのに、いつの間にかわたしが無限ループにはまる様を見ていただくブログになってきた。

女性専用車両での騒動動画について



遅らばせながらこの動画をみました。
うーん、なんていうかなぜこんなことをしようと思ったのか謎。
女性専用車両に疑問を投げかけるというよりむしろ、カメラで撮影しながら故意に女性専用車両に乗り込むことが問題だと思うんですよね。
女性専用車両についてはわたしも色々思うことがあるのでのちに書こうと思うのですが、この行為自体がおかしいことなんじゃないですか?
監修どこどことかって乗ってたけど、完全に企画してやってるってことですよね?
鉄道会社がそう決めて、みんながそのルールに則って運用しているものなのにわざと物議をかもそうとしてかこんなことをする神経がわからない。これをみせて男性側を煽りたいというのが魂胆ですか?
丁寧に言ってるのにそれに応じないのは合理的な理由が見つからないし、車両を移ればいいだけなのに本当に意固地になってるとしか思えない。それかわざとですよね。どちらにせよ、わたしはこの男性が悪いと思います。性差を示す男性というより、この人間がおかしいと思いますけど。
これをみて女はつけあがってるとかいうひともいるとおもうけど、それは全く別の話だと思いますよ。
わたしもそろそろ週2,3のペースで痴漢されるから車両変えないとな(^ω^)
なにも言わないからっていい加減にしたまえよ(^ω^)

人の写真を撮ること

着衣の女性を撮っただけで逮捕 ネット上で疑問の声 : J-CASTニュース

人材関係の話ばかり書いてたのでたまには。

この記事、わたし逆にネットの反応がおかしいと思うんですが気のせいですかね…?
なぜ見知らぬ他人の写真を撮る必要があるんですか?わたしも一度やられたことがあります。古本屋で友達の買い物を待ちがてらうろうろしてたらくっついてくるような男性がいて、思い切り携帯のカメラで顔を撮られたことがあります。
いまはツイッターやLINEなどのSNSで気軽に自分の写真をアップする子が多いですがわたしは怖くてできないなとおもいます。データって紙と違ってすぐに拡散されるし、それを保存されたらもう自分の手の届く範囲じゃない。データって本当に怖いので、わたしは知り合いでも写真は嫌いだからと断ってます。ノリが悪いと思われても仕方ないと思います。
でも、それくらいで嫌われるような友達はいませんし、その場のノリで撮るような大事な友達はいないので安心ですが。

とにかく自分や他人の姿をデータに残すことに大して抵抗がなさすぎるし、恐怖心を感じてないのがこわいと思うんです。
肖像権とかわたしはよくわからないのでそういった法的な話はしませんが、他人の写真を撮ること自体がどうかしてるという意識がないのが変だなと思うんですよね。
確かに最近はやりの女児を見つめる事案が発生とか、あれはやりすぎだとは思いますが、写真を撮るのはいけないと思う。
これが例えば女性を男性が撮る場合のみ適用というならまだしも、そうではないという雰囲気ですし。顔って整形しない限り変えられないですからね。何に使われるかわからないし、この被害女性が嫌悪感を抱くのは当然だと思います。あ、別にこれが男性でも同じです。
とにかく他人の写真を撮るのはもっと気を使わないといけないと思うんです。
だからわたしは、逆にこれだけ世間で騒がれる事件になってある意味では良かったと思います。被害女性には申し訳ないとすごく思いますが。



非正規雇用と正規雇用

非正規社員57%「自活できず」 40歳未満、家族が頼り - 47NEWS(よんななニュース)

リンク機能を初めて使ってみました。ちゃんと出来てるかな。

この記事を読んだ感想は、非正規雇用の恵まれなさより正規雇用でも家族などが生活費を払ってると答えた人が3割近くいたことへの驚きのほうが大きかったんですよね。
すごく単純な言い方をすれば正規雇用って、一般的に人が勤めるとき一番安定した雇用形態と言えるのではないでしょうか。普通はみんなそう捉えると思います。
なのに3割って…まあ確かに実家暮らしだからそうなってしまってるっていう実態も多いのかもしれないですけどね。だから一概には言えないけど、あの記事の文意(家族などが生活費を払う=収入に困ってる)を取るとやっぱりそれはおかしいかなと思うんですよね。

わたしは常々、1日8時間で週5日なんて働きすぎだなぁと思ってます。いまはいろんな働き方があるといえど、法定で実働週40時間なんて多すぎる。睡眠の時間が7時間あって、出勤、帰宅時間とか準備するための時間とか色々差し引きしたら自由な時間って本当に少ないとおもうんですよね。むしろ睡眠時間より働いてる時間のが長いっていうのがもう…

実際わたしと同じようなことを思う人って少なくないと色んな記事をみて思います。
仕事が人生の基本になっちゃいけないとわたしは思います。たしかに仕事も楽しめてプライベートも楽しめるのがベストだけど、人材関係の仕事をしててそれもなかなか難しいと思うのが現実です。

ある日わたしがとった一本の電話を紹介します。
「わたしは御社のサービスを使って転職したんですが」
という言葉から始まりました。ユーザーからのお問い合わせは本来ならばわたしの受け持つ部署ではないので、名前を聞いて担当に回そうとしたのですが、
「とりあえず、僕の話を聞いてください」
と切実な声で言われたのです。わたしは話を聞いてからでも担当に回すのは遅くないと思い、彼の話を聞くことにしました。声はそんなに歳を取った印象ではありません。
「夜勤をやってるんですがね、面接では16時から翌朝8時の勤務になると伝えられていたのですが、働いてみると24時間ぶっ通しの勤務なんです。御社のサービスでも勤務時間は面接で言われた通りだったし…こういうことってよくあるんですか?」
答えるより前に彼は話を進めました。
「まぁ僕も歳だからね。仕方ないけど」
実態を調べるために会社名とユーザーの名前を聞こうとしましたが、ダメでした。
「こんな歳だから、大袈裟にしたくないんだよ。大袈裟にしてクビになったら次いくところがないんだ。だけど実態としてそういうところがあるよって伝えたかっただけなんだ」
結局企業名も、本人のお名前も聞くことができず、電話機のディスプレイに表示された電話番号で調べるも該当するユーザーはいませんでした。

こんなに人材の確保が難しいと言われていても、人の年齢や弱みを元に待遇を改善しない企業がある。人を人とせず道具とみなす。
休みを増やしたり、待遇を改善する方法なんていくらでもあるのに。それこそジョブローテーションもそう。どなたかが記事に書いてらっしゃいましたが、わたしの会社はまさにそうです。シフト制にしてしまえばいい。そしたら休みを取っても業務が滞ることはないのに。それに幅広い業務が出来ることは一種のスキルにもなる。これはそのローテーションの仕方にもよりますが。

わたしがもし起業したら、絶対週3〜4の一日5時間くらいの会社にするなと思った朝でした。それで売り上げがあげられる会社になるなら最強じゃないですか。
簡単に言いますけど、そんなのやってみなきゃわからないですもんね。まだきっと誰もやってないから、その可能性は無限大だヽ(^ω^)ノ



環境が変わって。

色んな人のブログや記事を拝見していると、やはり自分から書くこと、発信することをやめてはいけないと思ったし、辞められないという思いも芽生えました。

環境が変わり、わたしは人材業界にいます。
大学の時散々悩んで、色んな経緯がありながら、この世界に飛び込んだ。
いや、実際なぜこの業界を選んだのかといったら就活に貧窮し、どうしても何かの職につかなくちゃならない、じゃあどうする、給料の高い営業の仕事ある、とりあえず、、、といったところ。

そんなこんなで新卒で入った会社は二ヶ月で辞めました。
残業も多いし、セクハラじみたことも多い。その中にいる人たちはそれで傷を舐め合っていたのだろうけれど、わたしの体質に合わなかったんです。
営業の仕事は上司から「電話機を手から離すな」とか、「ガムテープで電話機と手を縛り付けてやろうか」と言われながらも、やり続けていました。上司の圧力はきつかったし、嫌がる相手にもガンガン売りに行けと言う上司が信じられなかった。でも、それが営業って仕事なんだろうし、わたしがそれに慣れることが出来なかっただけなんだなと思っています。だから別に会社を責めるつもりはない。辞めるときに散々お金は取られましたが(笑)
それにいまの会社はわたしの仕事ぶりを認めてくれるし、なにより環境的にものすごく効率的。残業は一切しない体質で、そんなところをわたしは探してたんだなと思えるからです。あのとき思い切って辞めたからいまがあると思えば、全く後悔はしていません。
そんなこともあってか、いまや同期や友達が「会社辞めたい」と相談してくることもあり、わたしが相談に乗った結果、2人辞めてしまいました。いいのか悪いのか…

わたしの環境が変わり、そこで何を考えて生きているのか、少しだけでもここに残していくことが出来たらなと思います。


大学と奨学金制度の逃げ方

奨学金の話が最近よく出ていますね。
そんなわたしも奨学金利用者です。日本学生支援機構の。
第二種なので返済には利子がつきます。
この奨学金制度、本当にわたしも腹立たしい制度です。

まず成績優秀な人に第一種を貸与するというもの。
これって、矛盾してるんじゃないかなと思うんです。
ちなみにわたしは成績は高校時代よかったけれど第二種だから基準はよくわかりません…もしかしたら成績優秀な人への貸与というのは他の奨学金なのかもしれませんがとりあえず奨学金と名のつくもので成績優秀なものへ優遇する制度は意味がわからない。
学力低下とかで最近騒がれていますがそれだって政治の責任でしょう?それに貧困層になるにつれて学力が下がる、つまり親の収入が子どもの学力に大きく影響を与えることだってわかってるのに。どうしてそんな風に成績優秀じゃないから勉強する意欲がないと言えるのでしょうか。
これはもちろん、わたしの感情に任せたらそうなりますよ。高校時代わたしもそう思ってましたもの。わたしの家は裕福じゃなかったから塾へも行かなかったけれど、それなりに学校で先生に聞いたりして勉強した。だからわたしみたいに裕福じゃなくても勉強はできる。家庭環境で学力が伸びないなんて甘えだって、思ってました。
でも大学に来てから、いろんなことが見えてくるにつれて、わたしは裕福ではなかったけれど貧困でもなかったんだって。わかったんですよね。
だから成績優秀な生徒に優遇して奨学金を利子なしで貸したり、給付にしたりというのは本当におかしいと思うんです。
政治を動かした大人のつけが、子どもに回ってきてるんじゃないの?あなたのツケを背負わされたその子どもに将来多額な返済を平気な顔して求められるの?って。
そりゃ借りたものは返さなきゃいけないというけれど、こっちだって借りたくて借りたわけじゃないんです。もっと大学の制度を考えた方がいいんじゃないかなあ、離党とか分裂とかやってる暇があったら教育制度の見直しでもやればいいのに、って思うんですよね。

あと個人的に嫌なのが「返済は後輩のために必要だ」みたいな言い方。そんな風に偽善ぶらないで返済義務がある、法的にどうなるって言えばいいと思うんです。
大学の就活や推薦で教員になる人たちを見ていると、ここで辞退したら後輩に迷惑かける、とか、そんなことを気にしている人は確かにいます。でも少数派だし、それも辞退しない言い訳を考えていたり、迷いを自分の中で作って足を踏み出さない言い訳にしているとしか思えないんです。本当に大切なのは後輩よりもいまの自分のこと。後輩のことを考えてどうのこうの言う人にはすぐに「あなたの人生なんだからあなた自身のことだけ考えて決めなさい」って言ってあげたい。
話がずれましたが、なんていうか、大学は将来奨学金を返せるだけの返済能力を持たせる教育も同時に行わないといけないのではないですかね。大学は大人の世界だから単位にも冷淡だし授業の出席も管理しないなんて、結果が出せなかったら学生のせいにしてしまえる、そんな自分に都合の良い環境を作っているとしか思えません。

…外はこんなに寒いのに脳みそだけがヒートしてしまいました。体もあったかくなればいいのに!

理系という先入観

この間東京都教育委員会からきた人だとかのありがたーいお話を講義として聞いていたわけですが。
その方は国語の先生らしく、しきりに「みなさんは理系だから論理的なお話のが好きかもしれませんが」とか「みなさんみたいな理系の方にはもうちょっと理路整然とお話しした方がいいかもしれませんね」というような言葉を口にしていました。
そして、先日とある企業の面接でも。その方はわたしのお隣の県出身だったようで地元には帰りたくないというお話ではわかると共感いただいたのですが、理系だというお話をすると「理系なのに営業なんてできるの?」「厳しいよ?理系のように営業しないような仕事につくつもりだったんじゃないの?」と理系である=営業のような対人の仕事は苦手というようなことをたびたび口走るのでした。

わたしは高校時代化学が好きで、総合的にみたら文系のが成績はよかったのに化学を学びたいがために理系に進みました。物理はくそくらえって感じでした、苦手です。数学と現代文、古典、化学が好きだったんですね。
そんなわけでわたしは本来ならば文系のがあっていたと思っているくらいなので理系うんぬん言われるのなんとなく虫の居所が悪いというか、気に障るのです。
理系はモノと向き合い、文系は人と向き合うとでもいうのでしょうか?そんな固定概念が存在している気がするのですよね。
教育社会学の教員も同じように「僕は文系だからこの大学の先生みたいに理系の人とは合わない」とか、「僕はわからないけど理系の君たちなら〜」といった理系、文系の区分をするのです。

文系のイメージといったらたぶん、授業が楽、遊んでる、ちゃらい、コミュ力高い、要領いい、…なんてイメージなんでしょうか。
理系のイメージは生真面目、コミュ障、授業大変、理屈で通してくる、融通が利かない…とかそんなイメージですかね。
そんなの文系の人にだって真面目に勉強している人だっているし理系だからって遊び呆けている人たちがいないとは限らないではないですか。

そもそもが矛盾していると思うのです。
企業は大学の専門性をあてにはしていませんよね。だから大学の授業を受けるよりもサークルやバイトをいっぱいして、面接に有利な経験を積む、学生が授業を真面目に受けないから教員もやる気をなくす、教員がやる気がないから真面目に勉強したくてもできない、…という無限ループに陥っているというお話もよく聞きますし本当にその通りだと思います。
専門性をあてにしないで、サークルやバイトの話をしつこく聞くのは企業のくせに、くだらないところで理系文系だの○○学科だから向いてないだの、矛盾もいいところだと机を叩き割りたくなりました。もちろんそんな筋力はありませんが…
とにかくいま求められているのは、そういった矛盾の中から学生を救うための手立てとして「大学の質の向上」だと思うのです。
授業も毎回出席取ればいいんですよ。教員も授業の質の向上アンケートとかとって努力すればいいのです。大学の教員は黒板に向かって喋る教員が多すぎます。そして学生は授業中に喋る学生が多すぎる。
大学の本当の意義をきちんと明確にしないと大学生の学力低下は防ぐことはできませんよね。


写真を見るの?履歴書を見るの?


最近就活していて思うのは、証明写真のこと。
前々から思ってはいたけれど、どうして証明写真をわざわざ写真館などで撮る必要があるのか、という疑問です。
学校に来ている写真館の人にわざわざ写真を撮ってもらったという友人に聞いたところ。
「企業の人は、スピード写真かちゃんと撮ってもらった写真か、わかるらしいよ」

わたしの思い的には、そんなのがわかってしまうような企業の人間に人事なんて任せていいのかな、という思いがあります。そして、就活生側には、そんな企業はあなたのことを見てないよ、ということです。
証明写真はその名の通り、本人であるかを確認できればいいわけで、写真館で撮ってないから落とすなんてやり方を企業が採用しているなら、わたしはそんな企業行きたくないと思うわけです。
証明写真にかけるお金が勿体無いと思うのは私だけでしょうか?
だってあんなの、スピード写真ですら800円とかするじゃないですか。なのに写真館なんて。いくらするか知らないですけど(笑)
それならそのお金で買える志望する業界についての新書やら実用書を買って勉強する方が本当はずっと企業のためにも、自分のためにもなるんじゃないのかなぁ。
いつからそんな風に写真館で撮った写真のが採用率が高いみたいな、いや、違うな、就活のときに使う写真はスピード写真ではだめ、という風潮になったんですかね。
まあそれで写真館なんかも潤ってるのかもしれないし、そっちサイドとしてはその風を煽っていく方がいいのかもしれないけど。
こういう機会にしか写真館なんかで撮らないんだし、とか記念的な要素も含んでいればまだ救いようがあるけれど。
企業からの採用率に関わるという話にして煽るのは、わたしみたいに自分で学費を負担するために奨学金借りて、奨学金じゃ足りない分は自分のアルバイト代から出してってやってる学生にとっては、恨めしいにもほどがあるのです。

なんて、また愚痴っちゃったんですが。
同じように思っている就活生っていっぱいいるんじゃないかなぁ。
どうかそういう人たちを、助けて欲しい。
そんなところにお金をかけるのは無駄だって、大企業のお偉いさんが一言言ってくれるだけでいいのにな。
おやすみなさい。