〒LOOP

わたしが考えている事を綴るはずだったのに、いつの間にかわたしが無限ループにはまる様を見ていただくブログになってきた。

就活の矛盾と謎から、日本の変えるべき体質をみる


就職活動の矛盾について考えたことがあります。
そのきっかけはとある講義の最中、隣の男子学生Aくんが最近読んだ漫画がきっかけでした。

その漫画の内容はざっとこんな感じ。
大学時代、大学の勉強に力を入れてきたある主人公?の女の子、彼女が「就活ではサークルやアルバイトなど遊んでばかりいた人たちの方が面接では有利だし、そういう人たちの方がどんどん就職先が決まって行く。なぜだ!」という旨を訴えるというもの。

それを読んだAくんは、意見を求められてこう言いました。
「彼女は、勉強ばかりでサークルやアルバイトを蔑ろにするばっかりに勉強以外で得られるものを得られなかった。経験してこそ学ぶことができる。それが企業に求められているだけのこと」

そして対するBさんはこんなことを言いました。
「大学は就職予備校ではないし、本来なら高度な研究や勉強をするところ。やらなくてはならないことを蔑ろにしてその他のことから学ぶだなんて虫がよすぎる。それは言い訳だ」

結局この二人の理屈は平行線を辿りました。
わたしが考えたのは二つのこと。
一つはAくんが成績は真ん中くらいで、Bさんの成績が学科トップクラスであるということ。これからわかるに、それぞれきっと、自分の経験を元に話している。Aくんはサークルもしていたしバイトもしていた。Bさんはバイトはしていたけれどサークルはせず、学業に勤しんでいた。
そういう自己の経験が考え方を規定するというのは、思想家や学者などにも多いのではないでしょうか。最近よく耳にするハンナ・アレントなどもそうですよね。

さて、もう一つはAくんが言うように経験してしか学べないのであれば学びの幅がかなり制限されてしまう、ということ。本や教科書では宇宙の謎を知ることはできるけれど、あなたは宇宙の謎も体験しなくては学ぶことができないのか、ということ。
体験主体の学びには限界があるのではないか、ということです。
それとこれは学びの意味が違うというならば、Aくんの話は理屈が通らなくなるのではないでしょうか。違う意味を持つ学びを、同等に扱っているのだから。

まあ、そんなこんなで就活には謎がつきまといます。
いつか、正直者が馬鹿を見る世間を変えなくてはならないのですよね。
それが変わる構造を作らねば、と思うのは、結局選挙に若者も参加しろという結論に帰着するのでしょうか。なにやら違う気もしますが…
それはだって、弱者の意見には耳を傾けないと断言しているとおなじです。
その「若者が政治に参加しなくては変わらない」という言葉こそ、変えなくてはならない日本の体質そのものを具現化しているような気がしてなりません。

なんてことを思う、秋の夕暮れでした。