〒LOOP

わたしが考えている事を綴るはずだったのに、いつの間にかわたしが無限ループにはまる様を見ていただくブログになってきた。

終わりを見つめる。


最近は考えることが少なくなっていたのでたまには投下しないといけないなぁと再確認しました。

さて、今日は介護の仕事をしていたときのお話。
全くその業界に対して知識のない大学生を、よくも採用してくれた、といまでは思います。
わたしがそこで何をしていたのかというと。
食事、入浴、排泄の介助、入居者様の居室の清掃、おやつの配布?、レクリエーション、記録などなど。
まず形式的なところから。
この、最後にある記録というものは、入居者の方がどのレクリエーションに参加したか、どれくらいご飯を食べたか、何時にどのような排泄があったか、などを記録するものです。これがまさに、観察日記またいなんです。でも、ある種観察日記よりもたちが悪い。そのときの入居者の様子、とかって書いてある欄には様子もなにも「○○レク参加。」とかしかないんです。様子と言えば「ボールを転がすのを楽しまれていた」とか「他の入居者様との会話が弾んでいた」とか、そんな感じだとわたしは思ってたのですけど。
わたしがいたところは慢性的な人手不足でした。
それゆえなのか、一人にのしかかる仕事の量が多く、入居者の方と満足にお話もできない。時には一人で、20人ほど入居されているフロアを見なくてはならないということも。排泄介助が必要な方ばかりではなかったのでそこは助かったのですが、一人でもたとえば排泄介助にうかがうのが遅れて失禁してしまっていて、その対処などをしていると次のナースコールが鳴り、首から下げたPHSというのか、小さな携帯電話みたいなので「すぐに行きますね」と呼びかけては他の階のケアスタッフに応援をお願いしたり、ときには応援すら呼べないまま失禁処理続きになることも。そのときの入居者様の顔を見るのが辛かったというのが一番大きいです。みなさん「ごめんね」「人様の手を汚して」なんておっしゃるんです。
認知症の方も多かったので、そういうことすらわからず、失禁したものをそのまま素手で触っていらしてぎゃー!ってなったことも多々あります。そのまま泥まみれになったことも(笑)

また、夜になると心細くなって部屋から出てきてしまう方もいました。
その方はいつも同じことを繰り返すのですが、とあるとき、わたしが「ここに来る前はどこにいらしたんですか?」と話を振ると、まるで認知症で同じことを繰り返していた方と同じ方とは思えないような口ぶりで「わたしは○○に住んでてね」なんてお話をされるんです。
そんなとき、わたしは昔国語の教科書で読んだ大安に住んでいた話をするおばあちゃんの話を思い出しました。おばあちゃんのは大安に帰ったんだよ、というようなセリフが印象的だった。
それを思い出して、いまこの方は○○に帰ったんだなあという思いに包まれて、なんだか泣きそうになりました。

認知症って、だれでもなり得るし、本当はとても身近で、いまのわたしにはそうなってしまうのが怖いという思いすらあります。

ある認知症に関するエピソードを聞いたことがあります。
AさんとBさんはとても仲良しでした。年をとってきても、まだまだバリバリ元気よ、と二人ともおっしゃっていました。
ある日、Bさんは携帯電話を手に、Aさんの部屋にやってきました。
「あのね、急に携帯電話の使い方がわからなくなってしまったの。孫に電話をかけるには、どうしたらいいかしら」
Bさんは驚いて、携帯電話の使い方を教えてあげました。
Aさんは満足そうに帰っていきました。そのあとから、認知症は悪化していきました。

友だちが認知症になったとき、どうするか。それよりも、身に迫ってくる実感がBさんにはあったんじゃないかと思います。

長くなってしまったけれど、最近終活という言葉がありますよね。
終焉に向かうための活動らしいですが、なんていうか、それをできるのも贅沢だなと思ってしまいますよね。認知症になったら、自分の意思でそんなこと、きっとできないんだから。