〒LOOP

わたしが考えている事を綴るはずだったのに、いつの間にかわたしが無限ループにはまる様を見ていただくブログになってきた。

だいたいのアドバイスは妥協を勧める結果になる。


たとえば以前お話した就活の相談を受けたとする。
A「わたしは勉強頑張ってきたのに、就職できないんです」
B「つらいよね。あ、じゃあもっとアピールすることは他にないの?」
A「勉強を頑張ったので、勉強をアピールしたいんです」
B「うーん。でも会社が求めてない人材は取らないしね」
A「どうして会社は勉強してきた人を求めてはいないのですか」
B「まあね。そういう世の中だから仕方ないよ」

このような流れになるアドバイスってわりとありますよね。
相手が自分の想定外にいるときや、いくらなだめても諦めない時、妥協するしかないことをすすめる流れによくなると思うのです。
わたしはかなり、この妥協を勧められるタイプなのです。どんな人に相談しても、「そういう世の中だからねえ」「仕方ないよね」みたいな世間話になって終わり。

結局のところ、社会の大きな流れに流されるしかないというのが現状なのです。
それを甘んじて受け入れるか、壁にぶつかってしまうか。

わたしは、人に妥協をすすめるタイプにはなりたくないと思っています。
むしろ悩んでいる人には、多少リスクが高くても納得いくまでぶつかる方をおすすめします。妥協した方が楽だけど、それもなぁ、という人にはなおのこと、妥協するなんて馬鹿だ、くらいの勢いでアドバイスします。

誰もが妥協しなくてはいけない世の中は、変えなくてはならないと思うからです。
大勢に、小勢が押されるのは世の理ですが、その小勢になっても、せめて信念だけは持っていてほしいし、わたしも持っていたいと思うのです。
ある人が、美学を持って生きるのは、生き物の中でも人間だけだ、という旨の話をわたしにしてくれました。

それまでわたしは、理性という点が他の生物と人間との違いである、としか思っていませんでした。
理性は人間であるためにしてはいけない最低限のことを示すものです。
でも美学は逆で、人間である自分こそが、誇りを持って生きるためのものなのです。
なんていうか、表現に困っているのですが、理性は人間として最低限の感情、美学は人間のもっとも高次元にある感情だと思うのです。

だからこそ、美学や信念を持って生きて欲しいし、人間の中でも他人の誰とも違う自分というものを規定し、判別、確認できる感情だと思うから大切にしてほしいのです。

だから妥協なんて許さない。
とんがっていてもいいんです。大人になれば丸くなるというけれど、丸くなった分心の奥にとがりを隠しているくらいでいいです。丸くなったら負けとは言いません。その丸くなった姿はその人がいろんなことを経験して、いろんなことを考えて形成された自分です。否定できるはずもないですよね。

だからわたしに妥協をすすめるアドバイスはしないでほしい、という話だったのですが、妥協をすすめてくれるひとは、みんなわたしのことをよく考えてくれているひとばかりだということも、変えがたい事実なのです。
きっとその人は、世知辛い世の中とやりあうには、妥協という身を守る術を身につけた方が傷つかなくて済むよ、という気持ちで言ってくれるのですよね。
だから無下にはできないししたくもないです。

いつもこうやって無限ループするわたしの思考回路を止めて欲しい(笑)